お知らせ
みなさま、こんにちは。椋野みちこです。
みなさま、こんにちは。
椋野みちこです。
ぜひ一緒に、日田市の明るい未来を描き実現しましょう!
子育て支援と仕事づくりをしっかりやって、
ぜひ一緒に、日田市の明るい未来を描き実現しましょう!
ぜひ一緒に、日田市の明るい未来を描き実現しましょう!
7月の日田市長選挙に
立候補する予定であることを
記者会見させていただきました。
私は自分が日田市の先頭に立って、
あなたと一緒に、
この日田市を「安心と未来への希望」が
みえるまちにしたい。
そのためには、この急速な人口減少を
何とかくい止めたい。
子育て支援と仕事づくりを
しっかりやって、
「若者が残れる、戻れる、住みたいまち」に
します。
そして、「森と川と伝統文化を活かして
イノベーションを続ける、
世界に開かれたまち」に
していきます。
ぜひ一緒に、
日田市の明るい未来を描き
実現しましょう!
安心と未来への希望を叶えるための政策
安心と未来への希望を
叶えるための政策
11の重点項目
11の重点項目
子どもと向き合う教育の実現
大分県教育委員会とも連携し、教員の量的・質的充実を図ります。
感染症、救急対策など安心できる医療体制
大分県や済生会日田病院、医師会と協力して感染症や救急対策など安心できる医療体制をつくります。
介護予防で健康寿命を県内一へ
地域の支え合いによる通いの場を全地域につくり、県内最低の健康寿命を延ばします。
障がい者の就労と地域生活支援
障がい者が地域で暮らせるように就労支援と地域生活支援を充実します。
森林環境譲与税を使った山の
インフラ整備と人材育成
日田市は全国でもトップクラスの森林環境譲与税が交付されています。それを有効に活用して、林道等のインフラ整備と林業人材の育成を進めます。
飼料高騰対策と
日田ブランドの開発・発信
畜産業を守るために飼料高騰対策に取り組むとともに、農産品や加工品のブランドの開発・発信、後継者や新規就農者の確保、害獣対策を進めます。
日田のものづくりの発信と
後継者の育成支援
小鹿田焼き、木工、板金、漆、竹細工など日田のものづくりを発信し、後継者の育成を支援します。
治山治水の土木工事の
着実な推進と被災地域の振興
土砂災害、浸水などの災害を防止するための土木事業を着実に推進します。
被災地域の振興は、住民との対話を大切にし、将来ビジョンをもって進めます。
脱炭素の推進と河川環境の改善
クリーンエネルギーへの転換(GX)を推進するとともに、清流の復活に向けて河川環境の改善に取り組みます。
文化芸術を核とした地域づくり
パトリア日田を核として、市民、特に子どもたちや若い人が文化芸術に親しみ、創造性を養い、産業のイノベーションや地域の活性化につながる取り組みを進めます。
周辺地域の振興
周辺地域については、住民との対話を大切にし、総合的な取り組みで振興します。
椋野さんって
こんな人
椋野さんって
こんな人
PROFILE
椋野美智子(むくの みちこ)
- 元 厚生労働省課長
- 元 大分大学教授
平成31年、日田市長選に出馬。659票差で惜敗。選挙後も日田市に住み、日田市の活性化について市民と対話をし、活動する。
昭和53年に東京大学法学部を卒業、厚生省(現・厚生労働省)に入省。在フランス社会保障制度調査員、浦和市福祉部長、厚生労働省社会・援護局総務課長など歴任。その間、日本政府として初めて少子化をテーマとした平成10年版厚生白書「少子社会を考える-子どもを産み育てることに『夢』を持てる社会を」を小泉純一郎厚生大臣の下、責任執筆。以来、少子化対策はライフワーク。
平成18年に大分大学福祉科学研究センター教授に就任。平成23年には副学長。国、大分県、大分市など数多くの審議会等の委員に就任して、自治体への政策提言に取り組む。また、工学部、経済学部等と連携し、過疎地や高齢化する住宅団地・中山間地・中心市街地などで市民と共に地域課題の解決を図る。
共著書「はじめての社会保障」(有斐閣)は、2023年に第20版が出版されるロングセラー。
楽しみは祭りへの参加、着物での散策、オールディーズで踊ること。時間を見つけてジムでトレーニング。
昭和31年 日田市中城町に生まれ、ルーテル幼稚園、月隈小学校に通う
生まれたのは中城町、長生園の並びです。道を挟んで向かいは淡窓町、そこに父の経営する日田農機製作所がありました。祖父は清水町、祖母は東大山の出で旧姓河津と言いました。幼い頃は事務所で働く母の側でよく遊んでいました。
自宅の裏はルーテル幼稚園、裏木戸を通って幼稚園に通いました。この頃習った讃美歌はまだ歌えます。
月隈小学校は古い木造校舎でした。講堂で聞いた日田どん大倉永季の話など覚えています。咸宜園の側にあった市立図書館にもよく通い、鉄腕アトムもそこで読みました。
母は旧姓を原といい、川原町の造り酒屋でした。アユの塩焼き、うるか、奈良漬けは祖父母の味です。
昭和31年 日田市中城町に生まれ、ルーテル幼稚園、月隈小学校に通う
生まれたのは中城町、長生園の並びです。道を挟んで向かいは淡窓町、そこに父の経営する日田農機製作所がありました。祖父は清水町、祖母は東大山の出で旧姓河津と言いました。幼い頃は事務所で働く母の側でよく遊んでいました。
自宅の裏はルーテル幼稚園、裏木戸を通って幼稚園に通いました。この頃習った讃美歌はまだ歌えます。
月隈小学校は古い木造校舎でした。講堂で聞いた日田どん大倉永季の話など覚えています。咸宜園の側にあった市立図書館にもよく通い、鉄腕アトムもそこで読みました。
母は旧姓を原といい、川原町の造り酒屋でした。アユの塩焼き、うるか、奈良漬けは祖父母の味です。
昭和43年 大分大学附属中学校、昭和46年大分県立大分上野丘高校に入学
中学高校時代は学校の他にお花や剣道、居合道なども習いました。剣道は初段、居合道は2段まで取りました。手芸も好きで、縫いぐるみをつくって誕生日に友達にプレゼントもしました。
父も母も私に家業を継いでほしいとは一言もいわず好きにさせてくれました。父は内心は医師になることを望んでいたようでした。
人の命を救う医師という仕事はもちろん素晴らしいですが、私は安心して医療にかかれる制度をつくる方に関心がありました。それで、人の体の仕組みを学ぶ医学部ではなく、社会の仕組みを学ぶ東京大学文1(法学部進学コース)に進学しました。
昭和49年 東京大学法学部入学
大学の1、2年は全国から集まっているクラスメートとのつきあいが刺激的でした。その多くは、中央省庁や金融関係、商社、メーカーなどの大手企業に就職して取締役になりました。クラス会は今でも続いています。
法学部進学後は本当によく勉強しました。当時の女性の就職状況は大変厳しく、東大法学部卒の女子は民間企業は採用してくれず、公務員を目指しました。
就職での厳しい女性差別に直面して、やはり女性が活躍する社会の仕組みを作りたいと思いました。けれど、職場での平等を進めれば進めるほど女性には家事と仕事との二重負担が重くのしかかります。それは、零細町工場を父と共に支えていた母の姿を見て痛感していました。それで、家庭を、生活を支える厚生省を選びました。
昭和49年 東京大学法学部入学
大学の1、2年は全国から集まっているクラスメートとのつきあいが刺激的でした。その多くは、中央省庁や金融関係、商社、メーカーなどの大手企業に就職して取締役になりました。クラス会は今でも続いています。
法学部進学後は本当によく勉強しました。当時の女性の就職状況は大変厳しく、東大法学部卒の女子は民間企業は採用してくれず、公務員を目指しました。
就職での厳しい女性差別に直面して、やはり女性が活躍する社会の仕組みを作りたいと思いました。けれど、職場での平等を進めれば進めるほど女性には家事と仕事との二重負担が重くのしかかります。それは、零細町工場を父と共に支えていた母の姿を見て痛感していました。それで、家庭を、生活を支える厚生省を選びました。
昭和53年 厚生省(現・厚生労働省)入省
厚生省では福祉、医療、廃棄物、医薬品産業振興、少子化対策など様々な仕事をしました。小泉純一郎厚生大臣の下で責任執筆した平成10年版の厚生白書は、いま大きな問題となっている少子化問題を国として初めて採り上げ、大きな社会的反響を呼びました。浦和市に出向して福祉部長も務め、住民に直に接する市の仕事の大変さとやりがいを知りました。
フランスに社会保障制度調査員として1年半派遣されたこともあります。
「はじめての社会保障」という本を出し、これは今年第20版を重ねました。
日田出身ということで、厚生省の政務次官を務められた畑英次郎先生には大変可愛がっていただき、また中央省庁の大分県人会などで前知事の広瀬勝貞さん、現知事の佐藤樹一郎さんとも交流させていただきました。私も、日田市のために、済生会日田病院の誘致や国民健康保険の特別交付金の獲得など、国家公務員として許される範囲で力を尽くしました。
充実した役人生活でしたが、いずれは郷里に帰りたいと思っていたところ、大分大学からのお誘いがあり、大分大学の教授で戻りました。
昭和53年 厚生省(現・厚生労働省)入省
厚生省では福祉、医療、廃棄物、医薬品産業振興、少子化対策など様々な仕事をしました。小泉純一郎厚生大臣の下で責任執筆した平成10年版の厚生白書は、いま大きな問題となっている少子化問題を国として初めて採り上げ、大きな社会的反響を呼びました。浦和市に出向して福祉部長も務め、住民に直に接する市の仕事の大変さとやりがいを知りました。
フランスに社会保障制度調査員として1年半派遣されたこともあります。
「はじめての社会保障」という本を出し、これは今年第20版を重ねました。
日田出身ということで、厚生省の政務次官を務められた畑英次郎先生には大変可愛がっていただき、また中央省庁の大分県人会などで前知事の広瀬勝貞さん、現知事の佐藤樹一郎さんとも交流させていただきました。私も、日田市のために、済生会日田病院の誘致や国民健康保険の特別交付金の獲得など、国家公務員として許される範囲で力を尽くしました。
充実した役人生活でしたが、いずれは郷里に帰りたいと思っていたところ、大分大学からのお誘いがあり、大分大学の教授で戻りました。
平成18年 大分大学教授
大分大学では、教育のほか、地域に入って調査を行い、住民の方々と共にプロジェクトを立ち上げました。例えば空洞化が進む中心市街地でのコミュニティカフェ、高齢化が進む郊外団地での朝市や移動支援です。建築や都市計画、防災、地域医療や看護、教育の先生方と一緒に取り組みました。また、オックスフォード大学の教授ともアートによる地域活性化などで共同研究をしました。そのほか、副学長として新学部の創設も進めました。
大分県や大分市の医療審議会や社会福祉審議会、アートや長期計画作成のための委員会などの委員に就任し、政策等提言を行いました。
国がどんなに制度をつくっても首長、特に最も住民に近い市長によって行政水準には大きな差があることは厚生労働省時代によく知っていましたが、地域現場に入ってそのことをさらに痛感しました。
平成18年 大分大学教授
大分大学では、教育のほか、地域に入って調査を行い、住民の方々と共にプロジェクトを立ち上げました。例えば空洞化が進む中心市街地でのコミュニティカフェ、高齢化が進む郊外団地での朝市や移動支援です。建築や都市計画、防災、地域医療や看護、教育の先生方と一緒に取り組みました。また、オックスフォード大学の教授ともアートによる地域活性化などで共同研究をしました。そのほか、副学長として新学部の創設も進めました。
大分県や大分市の医療審議会や社会福祉審議会、アートや長期計画作成のための委員会などの委員に就任し、政策等提言を行いました。
国がどんなに制度をつくっても首長、特に最も住民に近い市長によって行政水準には大きな差があることは厚生労働省時代によく知っていましたが、地域現場に入ってそのことをさらに痛感しました。
平成31年 日田市に戻る
日田市の明日を憂う市民有志の方々の懇請により、日田市に戻り、日田市長選に挑戦しましたが、14,016票いただくも、659票差で惜敗しました。
選挙後も日田に住み続け活動を続けました。
日田の福祉を考える会顧問として高齢者の外出支援のセミナーを開催したり、企業の寄付を得て障がい者アートの展覧会を開催したりしました。また、サンヒルズひたひょっとこ愛好会、若宮太極拳教室、大原雅楽会にも参加して趣味活動を楽しみ、体力づくりでジムにも通っています。
そのほか、市内の様々なイベントに出かけ、たくさんの市民の方にお会いし、日田市の地域や産業の魅力を知るとともにその課題についても教えていただきました。
私の経験とネットワークを日田市のために役立てたい、市民の方々と一緒に日田市を元気にしたいという思いがますます強くなりました。
平成31年 日田市に戻る
日田市の明日を憂う市民有志の方々の懇請により、日田市に戻り、日田市長選に挑戦しましたが、14,016票いただくも、659票差で惜敗しました。
選挙後も日田に住み続け活動を続けました。
日田の福祉を考える会顧問として高齢者の外出支援のセミナーを開催したり、企業の寄付を得て障がい者アートの展覧会を開催したりしました。また、サンヒルズひたひょっとこ愛好会、若宮太極拳教室、大原雅楽会にも参加して趣味活動を楽しみ、体力づくりでジムにも通っています。
そのほか、市内の様々なイベントに出かけ、たくさんの市民の方にお会いし、日田市の地域や産業の魅力を知るとともにその課題についても教えていただきました。
私の経験とネットワークを日田市のために役立てたい、市民の方々と一緒に日田市を元気にしたいという思いがますます強くなりました。
Q & A
Q & A
そんなことはありません。日田市の人口減少は急激すぎます。年間1000人近く減っています。県内では2番目の多さです。
明石市のように、子育て支援によって人口増加に転じた自治体もあります。
私は厚生省(今の厚生労働省)で働いていた今から25年前に、政府で初めて少子化問題をとりあげた厚生白書を小泉純一郎厚生大臣の下で責任者としてまとめました。以来、少子化対策、子育て支援政策はライフワークとして取り組んでいます。
まずは人口減少をペースダウンさせます。
日田の合計特殊出生率は1.92で県内の市で一番高い。全国は1.3です。なのに、日田市でこの1年間に生まれた子どもの数は330人。前年より50人も減りました。なぜこんなに少ないのか。生む世代の女性が少ないからです。25歳から34歳までの女性の数は約2100人。65歳から74歳の女性の5500人に比べるといかに少ないかわかります。
だから、若い世代が残れる、戻れる、住みたいまちにします。
そのためには、子育て支援の抜本的強化が必要です。
国に先駆けて給食費を無料にします。
子ども総合局を創設し、子どもをまんなかに、福祉、保健、教育の縦割りを排して、一人一人に寄り添って総合的に支援します。
放課後児童クラブの運営を一元化して、保護者の負担軽減、指導員の確保、利用の公平を進めます。
不登校の子どもの多様な学びの場、居場所を確保します。
ただ、子育て支援だけでは足りません。しごとづくりが必要です。
「日田が大好き」という若い人たちが日田を去るのは、やりたい仕事が日田では見つからないから。だから、仕事の選択肢を増やします。
国、大分県との連携はもちろん、福岡、熊本の行政や経済界との連携を強化して企業誘致を推進します。そのための広域間幹線道路の整備を促進します。
福岡、熊本などへの通勤を支援します。
新たな職業人育成拠点(IT、林業など)を整備します。
移住施策を使った移住者に限れば年平均約300人で県内1位ですが、移住施策を使わない方も含めた転入者は中津市の半分以下。逆に日田市からの転出者は毎年約2000人。穴の開いたバケツにコップで水を汲み入れているようなもの。
まずは、バケツの穴をふさぐ、つまり、若い人たちが残れる、戻れる、住みたいまちにするための子育て支援と仕事づくりをしっかりしていきます。
そんなことはありません。
私はこの4年間、市内を広く回りました。企業誘致できる土地はたくさんあります。
また、来たい企業から相談を受けたという市民のお話もいくつも聞きました。この12年間、誘致企業はIT関連の2件。雇用は100人程度。
その前の12年間は5件。創出された雇用は800人を超えます。雇用だけではありません。企業誘致は土地の造成や建物の建設、運送など様々な形で市内にお金が落ちます。飲食など市内の様々な産業にも波及します。
もちろんIT産業はこれからの日田にとって重要です。が、それに以外にも多様な企業を誘致します。豊富な水と木材、クリーンなエネルギー、日田市は企業にとっても魅力的な土地です。
私は東大法学部で学び、大企業に就職したクラスメートがたくさんいます。厚生労働省で働く間に、企業の方々、国土交通省、経済産業省、農林水産省などの職員とも交流がありました。そのネットワークを活かします。
まちなかでは、永山城(月隈公園)から永山府政所、豆田町、咸宜園につながる豆田地区、亀山公園、三隈川、隈町の隈地区、駅、バスセンター、文化芸術の拠点パトリア日田のある 中央地区、これらをつなぎます。
天瀬は温泉、奥日田では、釣り、自転車、キャンプなどのアウトドア活動。
どの地区でも、牛乳、氷、果物、野菜、肉など日田の産品を使った食と小鹿田焼や木工など日田のものづくりを活かしたショッピングを楽しんでもらいます。
それに進撃の巨人など新たな魅力が加わり、富裕層から学生まで、日本の方も外国の方も、さまざまな方たちが楽しめる日田市にします。
福岡空港から1時間。福岡空港に降り立つお客様にもっと日田市においでいただけるよう、日田市の魅力を全国に世界に発信します。
そんなことはありません。
私自身は市民党。革新系でも保守系でもありません。保守系の政党支持者からも革新系の政党支持者からも、市民としての支援をいただいています。
それに、私は28年間中央省庁のキャリア官僚として働きました。大分県の審議会の委員もたくさんしました。国会議員の方々も中央省庁や大分県の職員の方々もたくさん知っています。行政内部にいましたからどうしたら国や県が動くかもよく知っています。その経験や知識、ネットワークを活かして、国や県の補助を獲得します。
福祉も災害対策も大切なのは予防です。
もちろん、困っている方々、被害に遭った方々の支援は最優先で行います。
でも、根本的には、困っている方々をできるだけ少なくする予防が大切。災害でいえば治山治水、福祉でいえば介護予防、問題が深刻になる前の相談支援。
例えば日田は健康寿命が県内で一番短い。その原因は、介護予防体操などの通いの場への参加率が一番低いこと。
予防にお金を使って、できるだけ長く元気でいていただければご本人も家族も幸せ。介護費用も抑えられる。
これは福祉の専門家の私だからこそできることです。
前回の選挙からの4年間、日田市に住み続け、本当にたくさんの市民の方から日田市のことを勉強させていただきました。落選した候補にこんなにも教えてくださることに感謝とともに期待の大きさを感じました。
この4年間で、日田市のいろいろな地域の、いろいろな産業、いろいろな暮らしをしている、たくさんの市民の方を知ることができました。私は、日田市のことをよく知っているそういう市民の方々と一緒に、日田市を「安心と未来への希望がみえるまち」、「森と川と伝統文化を活かしてイノベーションを続ける、世界に開かれたまち」にしていきたい。
これからの日田市の発展のためには、福岡、熊本、全国につながり、アジア、世界とつながることが絶対に必要です。全国を、世界を知っている私ならそれができます。
お気遣い、ありがとうございます。
徹夜もある中央省庁の激務を28年間、身体もメンタルも壊さずに続けてきました。
何より、4年前の選挙、7月下旬の猛暑の中の戦い、残念ながら落選したその翌日からお礼の辻立ちとあいさつ回りを続けたことを思い出してください。そしてこの4年間、日田市に住みながら、松山大学での授業(昨年3月まで)、別府での母の介護(昨年1月まで)、日田市での活動に走り回っていました。体力、気力、特に粘り強さには自信があります。
体力づくりにトレーニングジムにも通っています。
そんなことはありません。日田市の人口減少は急激すぎます。年間1000人近く減っています。県内では2番目の多さです。
明石市のように、子育て支援によって人口増加に転じた自治体もあります。
私は厚生省(今の厚生労働省)で働いていた今から25年前に、政府で初めて少子化問題をとりあげた厚生白書を小泉純一郎厚生大臣の下で責任者としてまとめました。以来、少子化対策、子育て支援政策はライフワークとして取り組んでいます。
まずは人口減少をペースダウンさせます。
日田の合計特殊出生率は1.92で県内の市で一番高い。全国は1.3です。なのに、日田市でこの1年間に生まれた子どもの数は330人。前年より50人も減りました。なぜこんなに少ないのか。生む世代の女性が少ないからです。25歳から34歳までの女性の数は約2100人。65歳から74歳の女性の5500人に比べるといかに少ないかわかります。
だから、若い世代が残れる、戻れる、住みたいまちにします。
そのためには、子育て支援の抜本的強化が必要です。
国に先駆けて給食費を無料にします。
子ども総合局を創設し、子どもをまんなかに、福祉、保健、教育の縦割りを排して、一人一人に寄り添って総合的に支援します。
放課後児童クラブの運営を一元化して、保護者の負担軽減、指導員の確保、利用の公平を進めます。
不登校の子どもの多様な学びの場、居場所を確保します。
ただ、子育て支援だけでは足りません。しごとづくりが必要です。
「日田が大好き」という若い人たちが日田を去るのは、やりたい仕事が日田では見つからないから。だから、仕事の選択肢を増やします。
国、大分県との連携はもちろん、福岡、熊本の行政や経済界との連携を強化して企業誘致を推進します。そのための広域間幹線道路の整備を促進します。
福岡、熊本などへの通勤を支援します。
新たな職業人育成拠点(IT、林業など)を整備します。
移住施策を使った移住者に限れば年平均約300人で県内1位ですが、移住施策を使わない方も含めた転入者は中津市の半分以下。逆に日田市からの転出者は毎年約2000人。穴の開いたバケツにコップで水を汲み入れているようなもの。
まずは、バケツの穴をふさぐ、つまり、若い人たちが残れる、戻れる、住みたいまちにするための子育て支援と仕事づくりをしっかりしていきます。
そんなことはありません。
私はこの4年間、市内を広く回りました。企業誘致できる土地はたくさんあります。
また、来たい企業から相談を受けたという市民のお話もいくつも聞きました。この12年間、誘致企業はIT関連の2件。雇用は100人程度。
その前の12年間は5件。創出された雇用は800人を超えます。雇用だけではありません。企業誘致は土地の造成や建物の建設、運送など様々な形で市内にお金が落ちます。飲食など市内の様々な産業にも波及します。
もちろんIT産業はこれからの日田にとって重要です。が、それに以外にも多様な企業を誘致します。豊富な水と木材、クリーンなエネルギー、日田市は企業にとっても魅力的な土地です。
私は東大法学部で学び、大企業に就職したクラスメートがたくさんいます。厚生労働省で働く間に、企業の方々、国土交通省、経済産業省、農林水産省などの職員とも交流がありました。そのネットワークを活かします。
まちなかでは、永山城(月隈公園)から永山府政所、豆田町、咸宜園につながる豆田地区、亀山公園、三隈川、隈町の隈地区、駅、バスセンター、文化芸術の拠点パトリア日田のある 中央地区、これらをつなぎます。
天瀬は温泉、奥日田では、釣り、自転車、キャンプなどのアウトドア活動。
どの地区でも、牛乳、氷、果物、野菜、肉など日田の産品を使った食と小鹿田焼や木工など日田のものづくりを活かしたショッピングを楽しんでもらいます。
それに進撃の巨人など新たな魅力が加わり、富裕層から学生まで、日本の方も外国の方も、さまざまな方たちが楽しめる日田市にします。
福岡空港から1時間。福岡空港に降り立つお客様にもっと日田市においでいただけるよう、日田市の魅力を全国に世界に発信します。
そんなことはありません。
私自身は市民党。革新系でも保守系でもありません。保守系の政党支持者からも革新系の政党支持者からも、市民としての支援をいただいています。
それに、私は28年間中央省庁のキャリア官僚として働きました。大分県の審議会の委員もたくさんしました。国会議員の方々も中央省庁や大分県の職員の方々もたくさん知っています。行政内部にいましたからどうしたら国や県が動くかもよく知っています。その経験や知識、ネットワークを活かして、国や県の補助を獲得します。
福祉も災害対策も大切なのは予防です。
もちろん、困っている方々、被害に遭った方々の支援は最優先で行います。
でも、根本的には、困っている方々をできるだけ少なくする予防が大切。災害でいえば治山治水、福祉でいえば介護予防、問題が深刻になる前の相談支援。
例えば日田は健康寿命が県内で一番短い。その原因は、介護予防体操などの通いの場への参加率が一番低いこと。
予防にお金を使って、できるだけ長く元気でいていただければご本人も家族も幸せ。介護費用も抑えられる。
これは福祉の専門家の私だからこそできることです。
前回の選挙からの4年間、日田市に住み続け、本当にたくさんの市民の方から日田市のことを勉強させていただきました。落選した候補にこんなにも教えてくださることに感謝とともに期待の大きさを感じました。
この4年間で、日田市のいろいろな地域の、いろいろな産業、いろいろな暮らしをしている、たくさんの市民の方を知ることができました。私は、日田市のことをよく知っているそういう市民の方々と一緒に、日田市を「安心と未来への希望がみえるまち」、「森と川と伝統文化を活かしてイノベーションを続ける、世界に開かれたまち」にしていきたい。
これからの日田市の発展のためには、福岡、熊本、全国につながり、アジア、世界とつながることが絶対に必要です。全国を、世界を知っている私ならそれができます。
お気遣い、ありがとうございます。
徹夜もある中央省庁の激務を28年間、身体もメンタルも壊さずに続けてきました。
何より、4年前の選挙、7月下旬の猛暑の中の戦い、残念ながら落選したその翌日からお礼の辻立ちとあいさつ回りを続けたことを思い出してください。そしてこの4年間、日田市に住みながら、松山大学での授業(昨年3月まで)、別府での母の介護(昨年1月まで)、日田市での活動に走り回っていました。体力、気力、特に粘り強さには自信があります。
体力づくりにトレーニングジムにも通っています。
ご連絡先
椋野みちこ後援会事務所
〒877-0037
日田市若宮町393-1上野貸店舗3号
0973-28-5146 FAX 0973-28-5147
mukuno.office@gmail.com